Ceramic Artist Toshio Ohi Blog
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お世話になった嵯峨逸平氏(元北陸放送社長、会長、裏千家老分)が28日朝、亡くなられた。
約三ヶ月前に静養を兼ねて、金沢から富士市に移られたばかりのことだった。
葬儀に参列したくて30日朝5時24分に金沢駅を出発、米原でひかりに乗り換え、
名古屋でこだまに乗り換えて新富士駅に到着した。そこには大きな富士の姿が青空とともにあり、
嵯峨氏はこの光景を毎日ご覧になられていたことであろう。尊崇の念で拝ませて頂いた。
生前よく私に話されたのは「お前の親父とは同じ年で誕生日も1日違いや」
嵯峨氏は昭和2年10月27日、父は10月28日、父もこの前80歳になったのだが、
神や仏の御蔭で有り難いことに生かさせて頂いている。嵯峨氏との別れは、
まるで言われたかのように「お前の父を大事にしなさい」そのことを意味しているような気がする。
嵯峨氏は北陸放送社長、会長、裏千家老分などを努められたことで、
金沢の経済界の重鎮であり数寄者でもあった。
また専務は私の叔父であったこともあって祖父、父、私、そして家族皆をご指導頂いた。
私は特に御長男であり先般亡くなられた春平氏とは兄弟のように仲が良かったので、
息子のように可愛がって頂き、有り難い時間だった。
春平氏とともに天国からの放送を期待して、ご活躍を祈っています。
今日、加賀屋代表取締役会長・小田禎彦氏の講演で伺った話はとても有意義であった。
加賀屋が何故、長い間を多くの人々が究極の旅館のひとつとして選ばれるのか理解できた気がした。
それはオーナー自らが社員と一丸となってサービスの原点を追求する姿勢だと思う。
「サービスとはプロとして訓練された社員が 給料を頂いてお客様の為に正確にお役に立って
お客様から感激と満足感を引き出すこと」この言葉を加賀屋の社員の方々は全員が
唱えることができるそうだ。従来のやり方は決して正しいとは言えないのかもしれない。
また感謝しなければならない真実もそこにはある。いかに信念をもって生きさせて頂くのか?
私も芸術家/作家としての生き方を見直さなければならないと思った。
相手の立場になって、そして相手が期待する以上の能力を発揮することが私の
仕事でもあるように努力していこうと、誓った時間でもありました。
小田会長、ありがとうございました。
今、寒気のニューヨークは朝5:30です。クリスマスシーズンに突入し市内のほとんどの
ホテルが満室で、まるで映画ロッキーのワンシーンのような安ホテルに滞在しています。
それでも宿泊料金は通常の4倍近くなのですが、、、
また、時差ぼけの私が更に眠れない理由があります。
ホテルの大きなネオンサインの光が部屋の窓に差し込むので、
外は真っ暗なのですがまるで昼間のようです。
しかし、このホテルに滞在して昔の自分を思い出しました。
ボストン大学に留学(1981-1986)していた頃、週末にはニューヨークの美術館や
ギャラリーを訪れ現代美術に触発され、またこの地で茶道を学び自分なりの日本観を養いました。
そして「いつかこの地で展覧会をしたい」そう誓ったのでした。その間、何を考えてきたのか?
そしてどうしてきたのか?いろいろな事がありました。そして25年の歳月は過ぎてきたのです。
また、ニューヨークに着いてから不思議なことがありました。
到着したJFK空港では同じ飛行機に乗り合わせた高校時代の同級生に出会い、
その日の夜には中学時代の同級生と35年ぶりに会いました。とてもいい出会いとなりました。
今日は6日、現代美術のメッカであるチェルシー地区での私の展覧会が始まります。
そして18:00にRECEPTION。昔、自らに誓ったことを実現します。
しかし、どうなるのかとても不安です。遠く日本、カリフォルニア、ボストンから
駆けつけて来て下さる方もいらっしゃいます。有り難いことです。
感謝の気持ちでいっぱいです。
いよいよ始まりです。
年を重ねるごとに一年という時間が短く感じるようになっていくのが、人生なのかもしれません。
まさに昨年、私にはあっと言う間の一年でした。 十代長左衛門は2月、
文化功労者顕彰祝賀会があって多くの方々に祝って頂きました。
本人曰く「顕彰も祝賀会も皆、人様のお陰」まさにそのとおりであって、その後は各地にて記念個展を開かせて頂きました。
日展、現代工芸美術家協会、石川県美術文化協会、金沢学院大学などで活動の場を与えて頂き益々、
伝統と現代の両輪にわたり元気に仕事をしております。 私、年雄は昨年の第37回日展にてMESSA VESSEL「尊崇」を出品、
2度目の特選を受賞させて頂きました。5月に訪れた米国コロラドのキャニオンの頂から見た景色は
とても大きな感動的で作品にしてみました。
個展は地元金沢、大阪、名古屋、富山、岐阜など各地で開かせて頂きました。
本年、東京日本橋三越個展(3/7-13) 中国北京清華大学にて九つの音色展(3/25-29)台湾台南芸術大学での
講座(5月初旬から約1ヶ月予定)日米陶芸展審査(6月上旬ニューヨーク)
米子高島屋個展(10/11-17)福岡三越個展(調整 中)などがあります。また4月上旬、イタリア、
ミラノにて開催されるミラノサローネにおいて私がプロデューサーとしてあるいはデザイナーとして
家具や茶室を発表いたします。現在、人間国宝の先生方や多くの伝統工芸に携わる匠の先生方から多大な技術協力を頂いております。
詳細はいくつかの雑誌などで紹介されることになっております。
一年が早ければ二年や三年をスパンスとして捉えていく大切さを感じ始めています。
いかに深く考え、どう作品にするか?大きな夢をもって本年も全力で望みたいと思います。
昨年は父も私も全国に出向き個展や講演などで、多くの方々と接し出会いがありました。
また、年末には父が文化功労者の顕彰を受けたことや、台湾前総 統、李登輝氏の訪問など我家は多忙な日々が続きました。
誠に嬉しい光栄なことでありました。 今日、父と私は静かに茶室で新年の茶を歴代の茶碗で喫しながら話したことがあります。
大樋焼は加賀藩前田家、裏千家をはじめとした茶道、金沢という歴 史によって存在していることほかなりません。
今一度、その恩恵に感謝を捧げ謙虚に生きていくという命題を二人で掲げました。
そして父は「何事にも包み込 めるような優しさ」私は「思いついたことを直ちに遂行する」
そのような目標をもって本年を過ごしたいと思います。いい話ができたと思います。
私の携帯電話に「嵯峨春平」と表示された着信。日時は2004年8月23日0時40分とある。
しかし、声の主は万里夫人だった。「深夜の電話ごめんなさい」「春平さんがたった今、
亡くなったの」「弟のように思ってってたからお知らせしたかったの」亡くなってから9分後の電話。
予測していたけど、私には返す言葉はなかった。辛い知らせでした。なんでだろう?涙が止まらないのに電話が嬉しかった。
春平さんが好きなのは皆が明るいことかな。春平さんは私にとっていつも兄貴だった。
励まされてばかりだったけど、近年少しだけお返しができたかな?
でも、結局その僕の気持ちが嬉しくてまた励まされたけど。。。想えば数々の出来事を共に過ごしてきました。
毎年、裏千家東京道場での初釜に金沢から一緒した。腹が減っていてはと、代々木八幡駅横でスパゲティー食べてそして、望んだ茶会。
どれだけ続いたことだろう?大きな体で辛そうに正座して、冬なのに汗をかいていた。
これからもずっと一緒に行きたかった。そして生きたかった。亡くなられたその日御家族はつとめて明るく振る舞っていました。
万里夫人を囲んですばらしい子供さん達です。死を皆が知りながら戦った。
それが春平さんがいつも誇りにした「自分の家族」尊敬に値します。
やはり涙が止まりません。ありがとうございました。大樋年雄
この1年間の速度は人生で最短に感じられた日々でありました。
有効な時間を様々に多方面にわたり活動させて頂きました。
これも人に支えられ、そして愛されてこそ成し得たことであって、深く感謝いたしております。
ありがとうございました。来年はひとつ、ひとつを実感していけるゆっくりとした時間を陶芸家として過ごしたいと思っています。
質が問われる大きな展覧会を東京や金沢で開催されることにもなっています。正月は大切な行事が多々あります。
日本人として、金沢に住む人間として深く考えながら過ごすつもりです。そしてまた制作に仕事場にこもるつもりです。
春になると新しいバージョンアップした大樋年雄と作品が出来上がっているよう努力するつもりです。
そんな大樋年雄を来年も応援して下さい。
加賀友禅の古紋をプラスチックに挟み込んだフレームのサングラスをMONA JAPANからプロデュースしました。
昨年11月のパリでの発表が好評であったのか、現在、米国やフランスをはじめとして世界15ヵ国以上で発売されています。
2月22日からは地元金沢大和百貨店で国内先行販売を開始し、
3月からは高島屋、三越、伊勢丹など東京や全国で店頭販売が開始されます。初めてサングラスをデザインしたのですが、
すでに次の構想に入っています。デザインすることは常に何かの想像の前提になります。
土で造形する仕事に役立つものと信じています。前進あるのみです!
全く信じたくない悲しい事実です。44歳というあまりにも短い人生だった。
同じ昭和33年、それも6月に互いが生まれて、裏千家と大樋焼という歴史も共有していたことで、
私にずっと友人でいてくれました。しかし導かれ、励まされたのは常に私でした。昨年末に御会いしたのですが、
互いが心の中で別れを告げた時間でもありました。
ありがたくも貴くもあった彼の存在をいつも感じることで私は自らの人生の確認をとっていたのかもしれません。
どうか雲上で田中一光氏とともに「新しい茶のかたち」デザインされた茶会を開き続けて下さい。
御冥福をお祈りしたいと思います。
初めての三重での個展です。祖父に世話になったと話に来てくれる方や、金沢の自宅に訪問したことあるとかで、
地元の方々から温かく迎えて頂いています。今回は既存のギャラリーと隣接する茶室、
そして対面する催事スペースをすべて個展会場にデザインしています。
光る長板やPCを用いたデジタル掛け軸などで新しい茶道空間の提案もしています。
くわしくはHPの写真で御覧下さい。
また今回は私が提案しデザインしたサングラスをも展示しました。
今年もいろいろな局面をもった陶芸家をめざしてがんばりたいと思います。